「目新しさ」はなぜ好子になるのか。

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嶋宗先生のBlogを定期的に読ませて貰ってますが、今回はちょっと思うところあり、自分の日記に考えをまとめ様かと。バックアップ好子がよく判らないけれど・・・普通の好子として考えてみよう。参照 Blog
 人間はモノを「差」でしか認識できない事を前提にすれば、多分、人間は「モノとモノの違いを認識できる事」が好子になるんではないだろうか。(ニュアンスとして、モノの違いが見える、体験できる、感じる、判断する・・・適切な表現方法が判らない)例えば、「柄ありコップ」と「柄なしコップ」がそれぞれ2個あったとして、柄なしコップが2個置いてあっても、コップが2個ある事しかわからないので、大きな視覚刺激にならなそう。一方、柄なしコップが1個、柄ありコップが1個置いてあれば、その違い(差)が、視覚的刺激になりそう。認識できるというのは、人間にとって大きな刺 激だと思う。
 動いた、動かない。
 音が変わった、変わらない。
 見える、見えない。
これを日常生活に拡張してみると、毎日何時もやってる行動パターンは過去と現在で違い(差、変化)がなく、刺激的でない。そこに新たな行動パターンが増えると、過去と現在に違い(差、変化)がでてきて、全体的な違いが刺激=好子になるのではないだろうか。
 んで、今回のコップの例は、柄あり、柄なしという情報の量が違うので、不適切かも。形が違う方が良いかもしれない。情報量が多いというのも好子になるのかな??。なりそう

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